あーとこみにてぃー@藤岡宣麗

マルチクリエイターの藤岡宣麗による作品発表です。皆様に楽しんでいただけるような投稿にしていきたいと思ってます。

bungaku museum 1 桜井亜美2

桜井亜美ヴァーミリオン」(幻冬舎

 

ヴァーミリオン (幻冬舎文庫)

ヴァーミリオン (幻冬舎文庫)

 

 

 この作品に描かれているアユミの気持ちは臨床心理士としての自らと同時に、個人における彼女自身の闇も反映されているように思える。アユミがスバルという高校生と出会い、公私の枠内を自らの欲望によって壊し、セックスを経て、彼に対する「愛」を生み出していった。彼自身が犯罪に手を染めていたことという認識も顧みず、自らの持つ闇に産んでいた「愛」が次第に「溺愛」と化し、臨床心理士という肩書も自らの手で犠牲にしてまで彼に尽くすという所において、エロスと犯罪の融合性がとても巧みに表現されている。一方のスバルにおいては彼の犯した犯罪が決して安易なものでなく、彼自身の信念、いわば安楽死を望む彼の母親による遺言を守ることの使命感が彼自身の破滅を後押ししてしまったといえる。思春期である彼の心に母の望んだ「自殺」を彼自身も協力することにより、彼の心に大きな闇を彼自身には罪という認識どころか、犯した行為が、彼自身にとっての恐ろしい「義務」としての存在感が非常に強い。故に、彼自身の生き様は過酷すぎる宿命に打ち勝つことができなかったと思う。また、アユミは彼への愛に尽くしたにもかかわらず、終盤における彼自身の「お願い」がアユミの気持ちを打ち壊してしまった。彼女自身の今後にも大きな影を作ってしまったのではないのであろうか。彼女がであった男たちとのセックスで、もし彼女に子供が生まれるならば、彼女自身は子供に対し、どのように考えるのであろうか。スバルとの出会いに、彼女自身の生きざまをどのように活かすかも考えさせるところでもある。

 桜井氏が描く女性像には、ガラスのごとくもろいシーンをよく目にするが、アユミという女性の純粋にセンチメンタルな心を持つ人物に「あたし」という言葉の持つ意味を活用し、彼女の視点に立つことにより、共感させる面をもっている。古典からして、紀貫之土佐日記」という所であろう。こう書くと、甚だ大袈裟か滑稽かと思われるが、個人的なイメージとして考える。また、現代的なもの、特にサブカルチャーを取り入れることにより、よりリアリティーに反映できる面もある。現代女性の抱える心のもろさと闇を描き続ける桜井氏の展開を期待している。