あーとこみにてぃー@藤岡宣麗

マルチクリエイターの藤岡宣麗による作品発表です。皆様に楽しんでいただけるような投稿にしていきたいと思ってます。

bungaku museum 1 辻井喬こと堤清二

辻井喬「彷徨の季節の中で」/新潮文庫

 

彷徨の季節の中で (中公文庫)

彷徨の季節の中で (中公文庫)

 
辻井喬コレクション〈1〉小説 彷徨の季節の中で 他

辻井喬コレクション〈1〉小説 彷徨の季節の中で 他

 

 

 甫(はじめ)という少年が安保闘争の時代を経ておとなになるまでの心情を細かく描いている。母への恨みは彼がひそかに見つけた一冊の本に書かれていた母の名前を彼はナイフで突き刺すことは、彼自身にとって母への恨みから否定へという内心が一気に引き出し、一つの「解放感」を得たと思う。この行為は人間特有の反抗期の一種であると思うが、彼の「反抗」が父や父の思想への恨みも重なっており、彼の心にはいつしか大きくなり、本来の「居所」の苦しみから、戦後に駐留していたアメリカ占領軍による日本国体弱体化政策に陥ったと同時に親米主義化した日本政府に対し、彼は共産党員として身をささげ、自らの存在価値を反映させようという考えにたどり着く。この作

品には、共産党組織の実態が具体的に描かれており、辻井氏の経験してきた党員経験を赤裸々になっている。党員仲間との多くの出会い、中でも彼の野尻敦子に対する恋愛感情は印象強い。だが、当時の共産党姿勢に対する失望感や仲間(ここでは同志・同胞と書かれている。)の自殺や離党が、彼に強い孤独感をもたらしてしまった。特に、敦子の終わってしまった片想いでは、彼女の文面には虚しい強気な印象がうかがえ、彼女の存在が遠く狭い存在に感じたであろう。彼女にとっても初めから恋愛というものに対し、初めから興味を持っておらず、甫としても彼女の気持ちに対しいつしか挫折感が出てきてしまったとも思える。彼が痛烈に感じた孤独感は、彼の闘争心の素となっていた「母へのコンプレックス」が結果として自らの戦いを否定されたものとなってしまったのであるといえよう。その後も彼は金貝という女性と出会い、女性に対する愛しさを経験するもの、彼女もいなくなり、晴子も別のところへ嫁ぐことで更なる孤独をもたらしてしまう。生まれ育った家も再び訪れるもの、想い出が低俗化し、結果として彼には何も残らなかった。この失った思い出の地が、辻井喬こと堤氏が手掛けた西武百貨店と重なり合うように思える。堤氏が去った西武百貨店は後任の和田繁明氏がセゾン文化をつぶしたうえに、百貨店をセブン・アンド・アイホールディングスに身を売ってしまい、かつての西武百貨店は存在感を失ってしまっている。自らの産んだ仲間による裏切りが、自らの父と重なってしまったのかもしれない。この拍品における失敗と孤独が、セゾン崩壊という皮肉な形で再び起こしてしまったといえよう。ただ、父は圧迫感をもたらす存在であり、堤氏にとっても苦いものでしかなかったはずであるが、和田氏は自分よがりな面が強いのか、和田氏を推したのは堤氏ではなく、病弱な人間が会長職に就かせたのは銀行員の意向であり、彼らがユダを育ててしまったといえる。

 父への失望、共産党への失望、野尻への失恋、友人の自殺を経験し、精神的に孤独をもたらした「焔」、本来は両親へ憎しみの残ったものであったが、甫個人には今では無意味となってしまった「焔」を、父への決別により、ようやく彼の中の「焔」を消すことができたのであり、新しい人生を始める彼にとって津村家の完全決別は、彼に明るい日差しを差し込めるものであるであろう。

 辻井喬氏は傍ら、堤清二の本名で財界にも活動していた。誰もが知っている「セゾングループ」の会長である。「彷徨の季節の中で」は西武流通グループ展開時に堤氏が自伝的小説として書き上げたものであり、文人経営者という肩書もできたのである。フランス語で季節を意味するという「セゾン」を用いたのはカード事業から西武鉄道系にしか使えないということにより、西武の名称をやめ、一年中使える意味を持たせ、「セゾンカード」は誕生する。これにより、西武名称を改めたり、グループ名を「西武セゾン」を経て、「セゾングループ」を誕生させたわけである。義弟であった義明社長率いる鉄道・コクドグループとは完全に一線を画し、コクドに似た別事業買収で範囲を広げたが、バブル崩壊で、セゾングループは分裂したが、パルコやクレディセゾン無印良品は残っており、また堤氏は軽井沢のセゾン現代美術館や、東京森下のセゾン文化財団で理事長職に就いており、文化界に君臨するとともに、財界には旧セゾングループの社員との関係も継続させている。かつて存在した池袋のセゾン美術館には堤氏にとっての思い入れが強かったものであったと思い、今は亡き有楽町西武の経営にも「情報発信基地」として絵画や、土地、書籍などファッションでは池袋店や渋谷店では見られないブランドをいち早く取り入れたのであったとされている。堤氏の今日までもたらした闘争心は「セゾン文化」という情熱的な経営、自立したセゾンブランド、そしてセゾンに魅力を引かれる立ち上がる市民、という形により、ここに行けば手に入る、ここだから私は好きだという感覚を世間に浸透させるためにあれこれを苦労を重ねてきたわけである。だが、いま「セゾン」を堪能するとなると、無印良品、パルコでセゾンカードを利用というものだろうか。現在のセブンイレブン傘下の西武百貨店ウォルマート傘下の西友では何か物足りなさを感じるであろう。今を改めてみると、確かに堤氏の功績は非常に大きいものである。財界や文化界と幅広く活動してきたわけであるのだから。

人物・津村甫  美也 孫清 野尻敦子/HO-KO-NO KISETSUNO NAKADE